ワインは人が造る。ブドウは人が育てる。そして素晴らしいワインを伝えるところにも人がいる。日本ワインに関わるさまざまな人たちの想いを綴ります。
file.007
小樽の街で幸せを広げる。小樽の街から幸せが広がる。
オサワイナリー 代表 長直樹さん
自分でワインを造ろう。そう決意し、この道に踏み込んだ人たちそれぞれに、そう決意をさせた動機がある。家業を継ぐため、その土地の伝統を守るため、農業の活性化を目指すため。それは使命感と言っていいだろうか。微生物の研究に魅せられて、植物や土地の力に魅せられて、生産者の情熱に魅せられて…それは、運命的な出会いと言っていいのだろうか。多くのインタビューをしてきたが、ここまでは美しいストーリーであることが多い。これを起承転結の起とすれば概ねこの後に来るのは承ではなく、転だ。ワイン造りに挑むためには、ワイン造りのために恵まれた仕事を辞めたり、厳しい研修や修行を経たりというハードルを越えることも必要だし、理想を高く掲げれば掲げるほど、生み出した作品とのギャップに悩むこともあるだろう。キャッシュフロー、設備投資、研究、厳しい評価。うまくいっては、うまくいかないこともある。拡大のために質を下げるわけにはいかないが、理想論だけでは食べてはいけないし、ワイン造りを続けていくこともできない。結は出ず、承と転の連続だ。
それはいやというほどわかっていたはずだ。2015年にオサワイナリーを設立した長(おさ)直樹さんと真子さんのご夫妻は、設立前からワインビジネスに関わってきた。お二人それぞれが、大手ワイン商社、販売店、飲食店などでキャリアを積んできた。その経験と視点を通じてワイン造りの理想と現実、起と承と転はいやというほど見てきたはずだ。さらにいえばバッドエンドな「結」までをも見てきただろう。長さんは柔らかい表情、爽やかな笑顔、理知的な言葉で、ワイナリー開設までとそれから今までの起、承を語るので、転にあたるその苦労や葛藤はうかがい知れない。むしろその転があったとしても、アクシデントではなく楽しいハプニングに聞こえるように話すかもしれない。旅行先のイタリアでワイン造りに目覚めたこと、理想のワイン造りができる環境を、日本各地で探し回ったこと、小樽という場に拠点を定めたこと、少しずつ自社栽培の畑からのブドウを使い始めたこと、販路や自分たちのワインを理解してもらえる場所を広げていったこと。大変さというよりは、その先を見据えた幸せな旅路とも聞こえるのだ。
前段が長くなった。オサワイナリーを訪ねて、冬の小樽を訪ねた。小樽といえば北の大地の一大観光地だが、オルゴール、ガラス、運河、ランチの寿司や海鮮丼といったイメージが強く、お酒という印象は、消費地としても生産地としてもあまり持たれていない場所だろう。ワインでいえば昔からある観光、お土産的なモノがあったかな、というぐらいの印象ではないだろうか。オサワイナリーがあるのはその小樽の街中。駅から7分ほど、運河に向かって坂を下りていく。小樽は明治時代の古い建物を生かしたホテルや店が多く、開拓時代のノスタルジーを感じさせてくれるが、オサワイナリーも築100年、3階建ての石蔵を生かし、1階に醸造所、2階にワインショップとテイスティングバーを構える。頭に浮かぶワードは、「かっこいい」、に続いて、「心地よい」だ。昔の建物を生かして開設されたニューヨークのアーバンワイナリー「レッドフック」や「ブルックリンワイナリー」を訪問した時に感じた、クールで、スタイリッシュで、でも古き良き時代がそこにあるという「かっこよさ」。一方で、日当たりのいい新婚家庭のリビングに招かれたような、なんとも幸せな「心地よさ」。冬の小樽でもこの日は明るい青空でゆるやかな風。それもあったのかもしれないが、ワイナリーを訪れる緊張感よりも、表情が緩んでいく感覚だった。
理想のワインは、「もっと身近に、ワインの楽しさを伝えていけるもの」という長さん。一言でいえば「幸せのワイン」。それは「香り」や「料理を引き立てる味わい」として表現される。顔の見える契約農家から仕入れる、小樽発祥のぶどう品種でありフレッシュ感を楽しめる「旅路」、日本人には親しみやすい生食用ぶどうであり、慎ましやかな甘やかさが心地よい「デラウェア」、小樽市内に拓いた自社畑からは、長さんが北イタリアなどで出会ったアロマティックな「ゲヴェルツトラミネール」や「ピノ・グリ」。それぞれが、「小樽で造れるのはこれぐらい」という制約ということではなく、長さんが目指すワインの世界にふさわしいぶどうということで育まれていく。結果生まれるワインは、どのアイテムも、あけてグラスに注いだ瞬間から、幸せなアロマを静かに、静かに放ち、そして次第にこの地の魚介を使った寿司が頭に浮かぶ。いかにも料理を引き立てる関係にあることがわかる。
ただし、幸せと言っても、ただだらだら…というものではない。ワインの芯には繊細ながらもしっかりした強さがあり、そしてどこかクールな表情もある。こういう例えが正しいのかわからないが、どこまでも純粋で優しい笑顔の女性が、ポール・スミスの細身のジャケットを着ているような感覚。そのジャケットの裏地やステッチには、黄色やピンクの花々が可愛らしく踊っている。胸ポケットにはチーフの代わりに、白い生花が1輪。ボトムはタイトなデニムで素足に白のスニーカー。このワイナリーの佇まいのように「かっこよさ」と「心地よさ」が同居している。もしかしたら「コタツにミカン」なクラシックな日本の家の風景でもいいのかもしれないし、白テーブルクロスの素敵な夜でもいいのかもしれない。家族となじみのお寿司屋さんでの楽しい夜もいい。でも、その風景のどれも、このワインがあると、少し品よくクールに見える不思議。ボトルデザインのかっこよさもあるかもしれないが、それ以上にこのワインが持つ世界観。「幸せなワイン」は、カームダウンとクールさ、その両面をもたらしてくれる。
テクニカルな話、畑の話、まだまだ語るべきことは多いのだが、なにより紹介したかったのは、ワインがあるところに幸せが広がる、ということをこれまでの人生で体感した人が、それを自らワインを造ることによって、もっと広げていこうとしていることだ。ワイン造りにはそれぞれ動機や強い意志があると冒頭に書いた。長さんにもその理由があったのだろうが、私たちワイン好きと同じようなところにその原点があったように思わせてくれる。仕事柄、「転」のドラマを聞きたがってしまう悪い癖があるが、このワインを味わうと、そういうよこしまな気持ちがどうでもよくなる。幸せなワインを造る人の「転」は、それも含めてきっと幸せなものなのだろう。勝手な想像ではあるが。
小樽の街、青空の下、ノスタルジックでクールなワイナリー。ここで味わう幸せなワイン。旅路で旅心、デラウェアで癒し、ピノ・グリで洗練。その後は、小樽の街で存分に美味しいものを。そして、その幸せな体験を自分の家で、街で、再び。そうやって幸せは広がっていく。
(取材・文=岩瀬大二)